「私、脱いでもすごいんです」と「私、脱いだらすごいんです」を使い分けよう。
説明するまでもなく。
「私、脱いでもすごいんです」は「私、脱いだらすごいんです」とはちがって、脱ぐ前からすごいことを前提にしていて、いまあなたが見ているすごい私がさらにすごいんですよ?といっているわけです。
もしこれが「私」がさほどすごくはないということであれば、「私、脱いでもすごいんです」の説得力が皆無っていうか灰燼に帰すのでつまりダメな使い方なのです。すごさにすごみがでない。
わかりやすく言うと、たとえばクロコダイン(そんなに強くない)とヒュンケル(けっこう強い)がいたとして、クロコダインが「私、脱いでもすごいんです」と言っても何言ってるんだお前、ということなのです。ヒュンケルが「私、脱いでもすごいんです」だと、ただでさえ強いヒュンケルが脱ぐっていうならそりゃまあすごいんでしょう、と期待爆上げという事態になる。
とはいえもちろんヒュンケルにとってはもろ刃の剣であり、万が一脱いだときにさほどすごさが感じられない場合、口先だけの6将軍というそしりもまぬかれない、そういったリスクはあるわけです。かなり自信がなくては「脱ぎスゴ」を口にするのはむつかしい。
そしてクロコダイン。クロコダインにもチャンスはあるのです。
もしクロコダインが脱いだとき、たとえば脱いだときのパワーを100万脱ぎパワーと表現するとして、じつはヒュンケルの脱ぎパワーが90万脱ぎパワーだとするならば脱いだ時点で圧勝できる。脱ぐ前はしょぼい。だが脱いだら勝てる。それなら言える。「私、脱いだらすごいんです」と。
脱ぐ前の状態を見てユーザの期待値が地に落ちている中で、圧倒的脱ぎパワーを見せつける。完全勝利であります。
一方でもしヒュンケルの脱ぎパワーのほうがクロコダインを上回っていたとしても、いやまだチャンスはある。「私、脱いだらすごいんです」のセリフに賭ける価値はある。ギャップ差による脱ぎパワーのブーストがかかるからであります。
脱ぐ前のヒュンケルが50万脱ぎパワー、脱いだあとが100万脱ぎパワーだとしてその差は50万脱ぎパワー。しかしもしクロコダインの脱ぐ前が10万脱ぎパワーで脱いだ後が90万脱ぎパワーだとすればその差は80万脱ぎパワーでありヒュンケルの差を上回る。ギャップがすごい。まさに「私、脱いだらすごいんです」を体現できる。言葉の体現者となる。
「脱いでもすごい」と「脱いだらすごい」、「でも」と「だら」の違い。
たかだか二文字の違いでこれだけ言葉の与える力は変わる。
使うべきシーンにあわせて言葉を選び、言葉の力を最大化して相手の印象をガラリと変える。
言葉で人を殴る、というのはつまりそういうことなのでございます、お嬢様。